20年近く前の記憶
トナリトの清水です。今回は、ちょっと古い話を。
この年始休み、映画『Dr.コトー診療所』を観てきた。
この『Dr.コトー診療所』は、少し出来過ぎた部分もあるんだけど、2003年の第1期連続ドラマ放映当時、新しい職場のスタッフたちと関係が築けず思い悩んでいた僕に、たくさんのエールを届けてくれた物語。そして、「精一杯向き合っていれば、きっといつか相手は振り向いてくれる」ことを思い出させてくれた。
そんな『Dr.コトー診療所』でよくあるシーンのひとつが、診療所での手術のシーン。診療所の待合室に患者家族だけでなく、様々な島民が駆けつけ、みんなで患者の無事を願い、手術後「手術成功」の報告を受けると、みんなで喜びを分かち合う。
そんな風景、現実にはなかなか見ることないけど、それから数年後、僕は似た風景を実際に見ることとなった。
僕が、国際医療活動に取り組む団体のボランティアとして、ミャンマーに出向いた時のこと。
この団体は、現地のお寺を借りて、まともに医療を受けられない人々に医療を提供していたんだけど、病室は個室や仕切りカーテンなどなく、お寺のお堂のようなところにベッドを並べたひとつの空間に、みんな相部屋状態で過ごしていた。
プライバシーもない空間。「ここにいる人たちはどんな風に過ごしてるんだろう…?」と思ったわけだけど、そんな心配はどこ吹く風。そこは、患者やその家族は毎日笑い合い、気にかけ合い、助け合い、それぞれが自由に交流するコミュニティ空間で、ボランティア活動の多くをこの空間で過ごした僕は、単語帳片手に各ベッドをまわりながら、どれだけ笑ったことか。病院にいるという感覚を忘れてしまう、ホント不思議な場所だった。
そして、ここでも手術となると、夜遅くなっても、この空間にいるみんなで手術の終わりを待ち、手術成功が伝わると、『Dr.コトー診療所』の手術後同様、みんなで大喜びし合う。
そんな場所、求めない人も多いのかもしれないし、暮らしの基盤自体も違うけど、僕は “自分のまちにもあったらいいな” と思う。
いずれ、活用させていただける空き家が見つかって、ヒト・モノ・カネ等々が揃う時には、そんな場づくりを考えてみたいとも思う。
気持ちでっかちな年始のブログ。 ま、年始だし思い描くことは大きくたってよいなっ!
皆様、2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
トナリト:清水